shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!西行

落語には、西行という歌人の哀れなラブストーリーがある。北面の武士、佐藤兵衛尉憲清が絶世の美女

染殿の内侍に恋わずらい。
「蝶(=丁)なれば二つか四つも舞うべきに三羽舞うとはこれは半なり」
と詠まれたのに対し、憲清が
「一羽にて千鳥といへる名もあれば三羽舞うとも蝶は蝶なり」と御返歌したてまつったのがきっかけ。

憲清にあてた御文、隠し文(暗号)
「この世にては逢はず、あの世にても逢はず、
三世過ぎて後、天に花咲き地に実り、人間絶えし後、西方弥陀の浄土で我を待つべし、
あなかしこ」
とある。

「はて、この意味は」
さすがに憲清

この世にては逢わずというから、今夜は逢われないということ、あの世は明の夜だから明日の晩もダメ。三世過ぎて後だから四日目の晩に花咲きだから、星の出る項。地に実は、草木も露を含んだ深夜。人間絶えし後は丑三ツ時。西方浄土は、西の方角にある阿弥陀堂で待ってと気づいた。

ところが憲清、待ちくたびれてついまどろんでしまう。そこへ内侍が現れ
「実あらばいかでまどろまん誠無ければうたた寝ぞする」と詠んで帰ろうとした途端
憲清、危うく目を覚まし、「宵は待ち夜中は恨み暁は夢にや見んとしばしまどろむ」
とし、これで内侍の機嫌が直り、夜明けまで逢瀬を重ねて、翌朝別れる時に憲清が、「またの逢瀬は」と尋ねると内侍は「阿漕(あこぎ)であろう」
と袖を払ってお帰り。

さあ憲清、阿漕という言葉の意味がどうしてもわからないので、出家して大歌人になったという落語。

 

阿漕は、三重県津市東部一帯の海岸。伊勢神宮に供える魚をとる漁場として、殺生禁断の地であった。
「伊勢の国阿漕ケ浦に引く網も度かさなれば人もこそ知れ」平治、住処(義太夫)

密猟も度重なれば、見つかると言うこと。

 

「願わくは 桜の下で我しなん その如月の望月のころ」文治6年2月16日(1190年)72歳で大阪南部の葛城山麓に建つ弘川寺で死亡