shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!高尾太夫

落語「紺屋高尾」「反魂香」に出てくる高尾太夫について今回考えます。

入山形に二つ星(最高級の遊郭)三浦屋四郎左衛門の抱えが高尾太夫、その下のランクが入山形に一つ星(松葉屋)、その下が入山形だけ(玉屋、伊勢屋)と続きます。所謂大店、総間垣。歌舞伎の助六では、三浦屋の揚巻が出てきます。(最も揚巻は、本当は、丹波屋の遊女)
そういう中、高尾太夫は、吉原の太夫の筆頭ともいえる源氏名高尾太夫は、吉原で最も有名な遊女で、その名にふさわしい女性が現れると代々襲名された名前で、吉野太夫夕霧太夫と共に三名妓と呼ばだそうです。

初代 は、後に尼となって妙心と号し日本堤の西方寺に庵を結んで念仏三昧に過ごしていたが、万治3年正月25日(1660年3月6日)、「寒風にもろくも落つる紅葉かな」の一句を残して没したという。


2代目は、万治高尾。仙台高尾・道哲高尾とも。陸奥仙台藩主・伊達綱宗の意に従わなかったために、三叉の船中で惨殺された。万治3年1660年没。墓所は現在は、移転して東京都豊島区巣鴨にある西方寺。

5代目は、紺屋高尾。神田お玉が池の紺屋九郎兵衛に嫁した。のち3人の子を産み、80歳余まで生きたとされる。紺屋高尾のモデル。

7代目は、徳川譜代の名門榊原家の播磨国姫路藩主・榊原政岑に身請けされるも、豪遊などを咎められ将軍・徳川吉宗の政策に反するとして殿様は隠居。

他にも石井高尾、六指高尾、子持ち高尾、小袖高尾などの名が伝わり、代々を数えるには諸説あるとのこと。