shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!相撲ネタ

 落語には、相撲ネタというジャンルがある。全戦全敗という「大安売り」、上方落語の「相撲場風景」、谷風の情け相撲を描いた「佐野山」そして地域巡業を描いた「花筏」、そして6代横綱の出世を描いた「阿武松」がある。

相撲のは、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある宿禰(すくね)と蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説が起源とされる。神社仏閣の建築修復の資金調達のための興行を「勧進」といったが、神社の祭礼に相撲が行われることが多かった(神事相撲)ことにあやかり、営利目的であるにもかかわらず「勧進相撲」と称して興行をするようになったもの。
やがて、寛保2年(1742年)に江戸で勧進興行のすべてにわたって解禁され、春は江戸、夏は京、秋は大坂、冬は江戸で「四季勧進相撲」を実施するという体制が確立していく。大名抱え力士などが現れる。大名家によって召し抱えられた力士には、大名家が所在する国名が書かれ、彼らは、本場所で勝利することによって大名の家名をあげる役割を担うようになった。お抱え力士を多く持った大名家としては、小野川喜三郎らを抱えた久留米藩(現・福岡県)、雷電為右エ門、稲妻雷五郎らの松江藩(まつえはん)(現・島根県)などがあり、熊本藩は相撲行事の家元として横綱免許の発行などを行う吉田司家を家臣にもっていました。
「一年を二十日で暮らすよい男」とは、力士たちの暮らしぶりをうたった川柳です。これは安永7年以降、相撲興行日が晴天8日から晴天10日に延長され、かつ江戸の定場所が、春・秋の2場所だったので、春秋の合計20日間相撲をとれば暮らしていけることを意味しています。しかし、実は本場所20日以外にも、地方への巡業や大名家での御用などがあり、川柳でうたわれていたような優雅な生活ではなかったようです。また、現在は、本場所も年6回1回15日間、地方巡業も多く故障を直すのも容易ではないようです。
阿武松」に出てくる名前には、最初の親方「武隈」次の親方「錣山」最初についた「尾車」すべて現代にも年寄名跡として残っている。また、古今無双力士として大関雷電為右ヱ門」初代横綱明石志賀之助」2代横綱「綾川五郎次」3代横綱「丸山権太左衛門」4代横綱谷風梶之助」5代横綱「小野川喜三郎」そして6代横綱となる「阿武松緑之助」となる。