shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!紀州

御三家とは、

落語「紀州」には、「御三家から直るという事が決まっておりまして」という件と橋、舟木、西郷という死語の擽りもありますが、本当にそうなのでしょうか?

征夷大将軍は、右大臣、源氏長者という位を天皇陛下から与えられた。

これになるためには、大納言(定員内)か権大納言(定員枠外)が必要条件であり、江戸の初期には、将軍家の世継ぎ、尾張徳川家紀伊徳川家、駿河家(2代徳川秀忠の三男忠長、鷹狩で小姓を殺害し改易)が大納言家であった。駿河家以外にも、3代将軍家光の子であった分家の館林家(綱吉が5代将軍になった。)及び甲府家(綱豊が家宣と改名して6代将軍になった。)

 しかし、駿河忠長が改易し、館林の綱吉が5代将軍に、続いて甲府綱豊が6代将軍に就いて将軍家を継ぎ、これらの徳川家が消滅し結果的に水戸家が格上げされて尾張紀伊・水戸の3つの徳川家を「御三家」と呼ぶことが定着。ただし、水戸家は、中納言のため、大納言ではないので右大臣(征夷大将軍)にはなれない。御三家は、徳川性を名乗った。

なお、将軍家から直接の分家で高い家格を有したものには、家康次男(秀忠の兄)の結城秀康(越前松平家)や(家光の弟)保科正之を祖とする(会津松平家)もあり、それらは御家門と呼ばれたが、徳川姓の使用は許されなかった。

f:id:shoushoutei:20231203102638p:image