落語雑感!「かっぽれ」
末廣亭では5月の連休に芸協が、 浅草演芸ホールでは8月中席に落語協会に芸協から春雨や雷蔵師匠 と春風亭昇也さんも出演して行われる。 言わずと知れた古今亭志ん朝師匠が興行復活に尽力したことで知ら れ、志ん朝師によれば、「大阪の住吉神社の御田植神事が元で、 その後住吉神社の分社を方々お拵えになる勧進のときに踊られ、 江戸に参りますと願人坊主が大道芸として踊り、 大変面白いためこれが寄席の方に入ってまいりまして、 豊年斎梅坊主
という師匠が大変名を高めまして、 その弟子にとし松さんという方がいて、その方から雷門助六( 8代)師匠が教わり、助六師匠から私達が教わった。」 といっていました。
そも「かっぽれ」の語源は「岡惚れ」。この「岡」は「傍(ほか・ わき・はた・かたわら)」から転じた言葉で、「岡惚れ( おかぼれ・おかっぽれ)」とは、異性への片思い。
豊年斎梅坊主という方は、本名は松本梅吉。江戸生まれ。 兄の平坊主とともに、願人坊主であった。門付け芸人という大道芸 を生業とし、阿呆陀羅経などもやっていたとのこと。
豊年斎梅坊主師は、本姓の松本にちなんで兄と共に「 松本講四郎一座」を作る。かっぽれだけでなく、茶番狂言、俄芝居 、道化芝居のようなものを仕組んで興行していた。
1886年(明治19年)1月、不入りだった活歴物の歌舞伎で「 かっぽれでも踊れ」と新聞に投書された九代目市川團十郎に新富座 でかっぽれを教え、團十郎は本当に舞台でかっぽれを踊る(河竹黙 阿弥作『初霞空住吉』)。この興行が大好評で、 芸者衆は座敷で踊り、市中にかっぽれはいっそう普及する。 九代目團十郎が豊年斎梅坊主を訪ねてかっぽれ踊りの指導を乞うた 際、梅坊主は「(元が大道芸だから) 座敷で踊るものではございません、庭に出ましょう」と応じ、 屋外で踊りを教えたという。永六輔著「芸人その世界」