shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!荻生徂徠先生—-出世豆腐

 江戸時代の俳諧師宝井其角が「梅が香や隣は荻生惣右衛門」 と詠んだ句は、本当に荻生徂徠の私塾が隣にあったそうです。講談、浪曲そしてそれらを元にした落語で有名な「徂徠豆腐」「出世豆腐」という演目があります。元禄時代儒学者荻生徂徠」先生は、父は元々館林藩主であった綱吉(のちの5代将軍)の侍医であったが、怒りを受け現在の茂原に蟄居させられ、その後父が赦免されたので、江戸に出てきたが、その時に柳沢吉保に見出されるまでの間、貧乏したときの噺。噺に出てくる豆腐ですが、三縁山増上寺門前の上総屋七兵衛さんが徂徠先生に渡した豆腐は、今で言う「木綿豆腐」だと思います。絹ごし豆腐は、同じ元禄時代豆富料理店「根ぎし 笹乃雪」(今でもありますが)が発明し、一般的ではなかったとのこと。豆腐のきり方には、奴切り、賽の目切り、短冊切り、拍子木切りとあるそうで、奴は、江戸時代に武家に仕えて雑用をする下僕で、その奴が着ていた半纏の模様「釘抜紋」と呼ばれる四角い模様のように大きな四角(一丁を6つないし8つにきる)に切る切り方。賽の目切りは、一片が1センチ角に切る味噌汁に入れる切り方で「あられ切り」とも言う。短冊切りは、奴を更に薄く短冊形に切る。拍子木切りは短冊を更に横に切り棒状にする切り方。徂徠先生は「奴が一番」と言った。

 豆腐発祥の地は、中国だそうで、その起源は、西暦の紀元前2世紀、前漢の淮南王・劉安の創作にあるという説があります。これは、16世紀の中国の書「本草綱目」の中に〈豆腐は、漢の淮南王劉安に始まる〉と書かれているそうです。

日本には、奈良時代(710~784年)に、中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたとされていますが、明確な記録はないそうです。豆腐の記録は、寿永2年(1183年)、奈良春日大社の神主の日記に、お供物として「春近唐符一種」の記載があり、この「唐符」が最初の記録といわれているそうです。当初は、僧侶そして貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代にようやく全国的に広まったとのこと。江戸時代になると、有名な豆腐料理本豆腐百珍」は、爆発的な人気で、いわゆるベストセラーとなったとのこと。