shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!和歌と落語

もうすぐ新年。百人一首を取り合う風景もあまり見なくなりましたが和歌と落語について考えたいと思います。

落語と和歌の関係で有名なものとして、『崇徳院』は、小倉百人一首77番の崇徳院の和歌「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」初代桂文治の作といわれ、後世に改作を繰り返し現在の形になったとされます。なお、本当は、非業の最期を遂げた崇徳院が都を忍んだ歌だそうです。

西行物でも和歌が出てきます。「蝶なれば二つか四つに舞うべきが三つ舞うとはこれは半なり」「一つこの世にても逢わず、二つあの世にても逢わず、三世過ぎた後天に花咲き地に実り、人間絶えし後西方浄土で我を待つべし」「宵は待ち 夜中に怨み暁に夢にや見んと暫しまどろむ」鼓ヶ滝では、西行が「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」と歌を詠んで悦に入っているうちにあたりが暗くなってしまい、あわてて近くの民家に宿を借りる。

そこに住んでいた翁、婆、娘の3人に、自作の歌「伝え聞く鼓ヶ滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花」を「音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きしたんぽぽの花(白百合の花)」と手直しされてしまう。実はこの3人は和歌三神(住吉明神、人丸明神、玉津島明神)の化身。

 和歌三神という噺では、「吹くからに秋の草夜はさむしろの 肘を枕に我はやすひで」「ほのぼのと明かし兼ねたる冬の夜は ちぢみちぢみて人丸く寝る」「千早ふる神や仏に見放され かかる姿に我はなり平」と三人が詠んだ。

 すっかり感心した隠居、「お前さん方は実に雲の上人(うえびと)、和歌三神ですな」

お菰さん 「いいえ、馬鹿三人でございます」というサゲ。

変わった噺では、「反故(ほご)染め」という噺。

下前(したまえ)は……

 と、めくってみますと「ひとこそしらねかわくまもなし」がサゲ。

 上方噺「鶴満寺」(かくまんじ)では、「『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』、あとは・・・」、「それは小野小町の歌だ。百人一首じゃ」、
百人一首?ばれたか。最初は百で後が一朱だ」がサゲ。

 「千早ぶる」では、「千早ぶる 神代もきかず立田川 からくれないに水くぐるとは」の解釈。