shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!義太夫

落語には、義太夫が出てくる噺があります。「寝床」は、元々、安永4年(1775年)「和漢咄会」の一遍「日待」。上方では、「寝床浄瑠璃』明治中期に東京へ移入されたとのこと。8代目桂文楽、5代目古今亭志ん生、3代目古今亭志ん朝が印象的。最近では、昇太師匠のが圧巻。

もう一つは、上方の米朝師匠の「猫の忠信」は、マクラで義太夫について、解説がいい。

義太夫節の開祖は、大坂・天王寺生まれ、竹本義太夫と名のって大坂・道頓堀に竹本座をおこし、「世継曽我」を手始めに、「藍染川」「以呂波物語」を興行した。井原西鶴近松門左衛門人形浄瑠璃の音曲を手掛けた。世話物第一作「曽根崎心中」は大当りした。

音曲は、一声ニ節というそうですが、これは、金春座系伝書‐宗筠袖下に「三命の事、只声、只節、只拍子是なり。一声二節と申も此心也」が原典。

「たれ義太」というのは、女性による義太夫語りの事で、江戸後期の文化文政ごろからおこなわれていたが、水野忠邦天保の改革で女芸人が禁止されると廃れていった。

しかし、明治維新以降の文化政策の改変のなかで、1877年(明治10年)の寄席取締規則によって女性の芸人が法的にも認められるようになると、寄席芸の一ジャンルとして、江戸期以上の隆盛をみるようになり、東京では、1882年(明治15年)に名古屋から来た竹本京枝、大阪では竹本東玉が出た。