shoushouteiのブログ

落語を語ってます!

落語雑感!土手の道哲

「闇の夜は、吉原ばかり月夜かな」見返り柳を後にして、土手の道哲、待乳山〜〜〜落語「文七元結」や「二階ぞめき」の一節。

「土手の道哲」とは、山谷堀から吉原へ行く途中の西方寺の土手がこれです。西方寺の開山は一説には念誉上人又は正覚上人、他の説には、道哲道心が開山したともいわれている。

道哲は人情に厚く、ことに遊女が死んだあとで浄閑寺などに投げ込まれることを哀れみ、発見しだい、ねんごろに埋葬してやったという。三浦屋の高尾は道哲の人情の厚きに感激し、その果ては恋に落ち入ったと伝えられている。また、この高尾には、仙台藩二代目藩主伊達綱宗との仲がいろいろと伝えられている。綱宗がふとした動機から吉原通いが始まり、高尾に魂まで打ち込んだ綱宗は、世をはばかってついに隠居することになった。「仙台騒動」

さて高尾には島田権三郎という名の秀麗な美青年が相思相愛の仲であったという。
高尾太夫のことについては、三笑亭可楽の落語『反魂香』に残っていますが、他の説では、道哲のあとを追って自害したという説もあり。